かえろうともよ

映像の中では、元ホームレスの人たちが、“神様と出会った体験”を話しています。悲惨な人生の中で、何を彼らは見たのでしょうか。タイトルの「かえろうともよ」は、“やさしい イェスのむねに かえろう ともよ” という意味です。

動画再生

🎦 上記イラストをクリックすると全編再生が始まります。映像の長さは76分です。

🎦 クリスチャンの方もクリスチャンでない方もぜひご覧ください。

この度CGNTVが制作したドキュメンタリー「路上の隣人」の中で「かえろうともよ」の映像が使用されました。興味のある方はご覧ください。CGNTV (Christian Global Network Television)
https://www.youtube.com/watch?v=HnlUiIZqTEw

かえろうともよ 2010年制作
「かえろうともよ」は1998年から2009年までの12年間に撮影された横浜カナンキリスト教会の
ドキュメンタリー映像です。映像の中では、元ホームレスの人たちが、“神様と出会った体験”を
語っています。クリスチャンの方もクリスチャンでない方もぜひご覧ください。

鑑賞方法

言語選択
「かえろうともよ」は4ヶ国語で鑑賞することができます。上段の言語を選択すると字幕と讃美歌が選択した言語に変わります。

全編再生
全部で17のエピソードで構成されています。映像の長さは76分です。より深く理解を深めるために全編を連続して鑑賞することをお薦めします。

記録映像
「かえろうともよ」は教会の人たちの活動を記録した記録映像9編と、※証(あかし)の記録映像8編が交互に再生される構成になっています。9編の教会記録映像の背景音楽には11曲の讃美歌が使用されています。

※証(あかし)とは
証とは“自分がどのようにして神様に出会ったのか”をみんなの前で語ることです。

各エピソードの解説
各エピソードの解説をご覧になりたい方は各エピソードの解説をご覧ください。

制作経緯
「かえろうともよ」が作られた経緯を知りたい方は制作経緯をご覧ください。

各エピソードの解説

  1. かえろう ともよ
♪(讃美歌) 淋しい夜の町

横浜の寿町は、東京の山谷、大阪の釜ヶ崎と並ぶ日本の三大ドヤ街のひとつだ。近くには中華街、横浜スタジアムアム、山下公園などの華やかな場所が控えている。この狭い街では、沢山の人たちがホームレス生活をしいられている。街の真ん中には寿労働センターの広場があり、絶望と悲しみのなかで、戻る場所も行く場所もない人たちが、昼も夜もさ迷い歩いている。「淋しい夜の町」は、路傍伝道のテーマソングであり、伝道に集まって来る“さ迷う友たち”が大好きな讃美歌だ。この歌の最後の歌詞はこんな風に歌われている。

“やさしい イェスのむねに かえろう ともよ” “やみよに さよならして かえろう ともよ”

 2. 佐藤牧師と徐牧師からのメッセージ

徐牧師と佐藤牧師はセンター広場で、往く場所も帰る場所も失くしてしまった人たちに路傍伝道を行っている。徐牧師は寿町で伝道を始めた時の決意をこう語っている。“私は、弱く、足りない人間です。でも、私は、私ではなく私の内にいるイエス様が、私に力を与えてくれることを信じて伝道を始めました”。そして佐藤牧師はこう言っている。“天国へ行ったら礼拝しかありません。今しか伝道はできません。この事を思うとなんという特権に私たち共はあずかっているのでしょうか”。

 3. 路傍伝道集会
♪(讃美歌380) たてよ、いざたて

暑い夏も寒い冬も、雨の日も風の日も、路傍伝道は続く。大きな文字で讃美歌の歌詞が書かれた巻紙はガムテープで何重にも補強されている。その前では酔っ払いが寝転んでいる。野次や罵声が飛ぶ。しかしそんな状況にもまったく臆することなく、佐藤牧師は伝道し、徐牧師とラザロたちは賛美する。給食が目的でやって来る人たちは、やがていつの日か、教会の礼拝に訪れ、最前列で讃美歌を歌い、洗礼を受け、路傍伝道集会に参加し、広場に集まる人たちに給食をするようになっていく。

 4. 証し 1 境さん(元多重債務者)

プロフィール

今までも飽きずに懲りずに悪いことをしてきた。ギャンブルにのめり込み、借金を重ね、ついには自己破産をすることになる。ある時は「もう自殺しよう!」。車の通る道路を見て、「飛び込もう!」。橋から川を見て、「飛び込もう!」。高いビルを見て、「あそこから飛んだらどうだろう…」。毎日そんなことばかりを考えていた。2日間何も食べず水だけ飲んで寝ていた時、カナン教会の人々からおにぎりをもらった。もし、あの時あのおにぎりをもらわなければ自分はどうなっていたのだろうか。

 5. 雨にも負けず

♪(讃美歌354) 牧主(かいぬし)わが主よ

この街では喧嘩、殺人、自殺、火事などは日常茶飯事だ。ある秋、教会の韓国人信徒が教会前で殺された。この事件で教会を支えていた韓国人の約半数が教会を去り、教会は経済的危機に直面した。この時、佐藤牧師はファミリーレストランで働き、徐牧師とスタッフたちはキムチの製造販売を始めた。警察、テキヤなどの規制でよい場所が見つからず、キムチも売れない。そして突然の大雨。それでも徐牧師は困難にひるむことなく降りしきる雨の中でスタッフと共に働いた。

 6. 証し 2 田村さん(元スーパーマーケット店長)

プロフィール

信仰、希望、愛。今までの人生の中でこれを持っていなかった。大学まで行くことができた恵まれた環境に育った。両親、友達、兄弟、学校の先生、職場の先輩からもいろいろよくしてもらった。でも、結局、すべての事は自分で成し遂げたと思って人生を歩んできた。お金も、時間も、力も、自分のために使い、最後には生きる希望を失い、家を失い、食べ物を失い、衣類を失い、すべてを失った。1年半かけて小倉から横浜まで歩いて来た。ここでだめだったら、もう死ぬしかない、そこまで行きついた。

 7. たのしい、うれしい、おいしい
♪(讃美歌461) 主われを愛す

カナン教会が“カレーライスの教会”と呼ばれるのは、礼拝後に教会内でカレーライスを食べさせてくれるからだ。誰もがこのカレーライスを楽しみにしている。他の教会から応援の人たちが駆けつけて来る時は、伝道後にセンター広場で更に多くの人たちにカレーライスを給食する。いつもは暗いすさんだ空気が漂う広場も、この日ばかりはあたたかい空気に満たされ、人々の顔は、たのしい、うれしい、おいしい表情になっている。徐牧師と佐藤牧師は広場の階段からその様子を見守る。

 8. 証し 3 松田さん(元演歌のバンドでドラマー)

プロフィール

学生時代も、野宿をしていた時も、悪いことばかりしていた。演歌のバンド(楽団)でドラマーをしていた時も、生意気な歌手には音を狂わせたり、差し入れの酒を飲み酔っぱらったりしていた。最後には身体を壊し退院してからも酒がやめられず路上生活をしていた。そんな時、仲間からこの教会の事を聞き訪ねたが、下ばかり向いていたので十字架がどこにあるのかわからなかった。近くの人に尋ねると“十字架って上ですよ”と言われた。上を見ると建物の屋上に十字架が見えた。

 9. 寿町のラザロ
♪(讃美歌524) イェス君、イェス君

ある日、寿町で足の悪くなった男性を見つけた。男性の足は腐り、あちこちにあいた小さな穴から蛆虫がポロポロとこぼれ落ちていた。聖書の中にラザロという貧乏人が登場するが、彼は寿町のラザロだった。佐藤牧師が身元引受人となり、男性は入院した。退院後も徐牧師の介護でその足は治癒した。この出来事の後、男性は初めて自分の意思で教会を訪れた。それは路傍伝道でのことだった。佐藤牧師が弾くアコーディオンの伴奏に合わせてマラカスを振る男性の目からは涙がこぼれ落ちていた。

 10. 証し 4 肥田さん(元脳性麻痺患者)

プロフィール

生まれた時から足腰が立たなかった。妹たちは正常で2人ともちゃんとした学校へ行った。自分は身体が不自由だったので学校へも行かず、兄弟でも遠く離れて歩いていた。親は親で、一人で歩け、と自分を突き放した。親の愛とか兄弟の愛とかそんなものを受けたことはなかった。“愛なんて一切ない!”と、そう思っていた。そしてホームレスになった。生活は苦しく死ぬかと思った。ある寒い冬の夜、風呂に入らない臭いそんな自分のダンボールの家を訪ねてくれる人がいた。

 11. 笑顔のラザロたち
♪(讃美歌520) しずけき河のきしべを

毎日の生活の中では、辛くて苦しいこともあるが、楽しくうれしいこともある。山のキャンプで体験した勉強会や水遊び。ミッションラザロの証人として韓国の教会に招待されて、みんなの前で讃美歌を歌った体験。毎週のゴスペルアワーで力いっぱい讃美する喜び。愛と祈りのパトロールで、おにぎりをあげたホームレスの人に“ありがとう”と言われた瞬間。そしてみんなで祝った結婚式や誕生日や教会の15周年記念のお祝い。心に平安が訪れる穏やかで豊かな時がたくさんある。

 12. 証し 5 今泉さん(元人身ブローカー)

プロフィール

労働者をだまし賃金を払わずに働かせるタコ部屋に人を送る仕事をしていた。ある日、この寿町で昔だました人とバッタリと出会う。その後も何人ものだました人に出会い“今度はおまえを殺してやる!”と言われた。それから2畳半ぐらいの狭い部屋に身を隠し酒に浸る生活が3年ほど続く。気が狂いそうだった。生きていても仕方がない、死んだほうがいいと思った。最後に酒でも飲んで気晴らししようと買い物に出た。その時にセンター広場でカナン教会の路傍伝道集会に出逢った。

 13. 早朝路傍伝道
♪(讃美歌379) 見よや、十字架

寿町の真ん中にあるセンター広場の階段には、暗い早朝から沢山の人たちが座り、路傍伝道集会が始まるのを待っている。彼らの目的は伝道で語られるメッセージや讃美歌ではない。伝道が終わった後に配られるお弁当や味噌汁だ。伝道が始まる。佐藤牧師は人々にメッセージを送り、徐牧師とミッションラザロのスタッフたちは賛美する。傍らでは他のスタッフたちが給食の準備をする。やがて夜の闇が去り辺りが明るくなる頃、路傍伝道が終わり人々はお弁当や味噌汁に群がる。

 14. 証し 6 池田さん(元風俗店店長)

プロフィール

野宿をしていた。1年以上風呂に入らず、髪の毛も伸ばし放題。そんな臭いひどい状態なのに、煙草が吸いたい、お酒が飲みたい。こんな思いで、人の迷惑をかえりみず、電車に乗って後楽園へ行き、東京ドームでチケットを買う並びをしてお金を手に入れていた。自分の欲望ばかり、自分中心ばかり、そういう生き方をしてきた。神様なんか全然信じてなかった。好きなように生きて、いつか死んで終わりだと、そんな風にばかり思っていた。そういう自分を変えたのは或る聖書のみ言葉だった。

 15. 神と人の前で
♪(讃美歌312) いつくしみ深き

関内駅地下道でダンボール生活をする男女のホームレスがいた。女性は妊娠していて危険な状態だった。徐牧師は女性を専門病院に緊急入院させた。無事女の子が生まれた。この女の子の満一歳の誕生日を兼ねて教会で結婚式が行われた。夫婦は生活保護に頼らず、教会の一室を借り信仰の生活を始めた。女の子はカナン教会の宝としてみんなに可愛がられ、すべての集会に参加し、御言葉も讃美歌も聞いている。佐藤牧師はこの子のためにいつも祈っている。“世界は君を待っているよ”

 16. 佐藤牧師の路傍伝道

毎週行われる路傍伝道集会は寿町のセンター広場で行われる。広場の階段は人で埋め尽くされている。佐藤牧師は彼らに向けて力強いメッセージを送る。そして路傍伝道のテーマソングである「淋しい夜の町」が歌われる。佐藤牧師のアコーディオンの音色に合わせて“やさしいイエスのむねにかえろうともよ”の歌声が広場に響き渡る。手拍子を打つ者、ビール片手に歌う者。歌が終わると拍手と歓声が沸き起こる。最後に参加者全員で「主の祈り」を祈り路傍伝道集会は終わる。

 17. クリスマス
♪(讃美歌112) 諸人こぞりて, ♪405 かみともにいまして, ♪109 きよしこの夜

クリスマス。救い主の誕生を祝う日である。教会での礼拝と祝会の後、サンタクロースとなったラザロと共に街へ繰り出し、ダンボールで暮らすホームレスの人々にプレゼントを配る。公園や駅前では道行く人々に賛美のプレゼントをして喜びを分かち合う。焚火の前では大昔の人たちのように、炎で紅く照らし出された歌詞を見ながら讃美歌を歌う。最後に、遠く夜空に輝く教会の十字架を目指し帰路につく。主イエスご自身が「受けるよりも与えるほうが幸いである」と言われた御言葉に満たされて。

  横浜カナンキリスト教会について

所在地      : 〒231-0025 横浜市中区松影町3-11-2 三和物産ビル6F
TEL/FAX  : 045-664-4710 
URL       : https://misson-lazarus5286.jimdofree.com/

  牧師について

佐藤 敏(さとう さとし)カナン・キリスト教会 主任牧師
大手鉄鋼メーカーに就職。その後、献身。聖契神学校に夜間の学び、4年間のイムマヌエル聖宣神学院における学びと訓練を終え、同神学院教会スタッフを経て、東京の山谷でホームレス伝道の働きに加わる。後に、寿町の伝道を始めた。

徐 蓮凞(そ よんひ)カナン・キリスト教会 主任牧師
1992年12月、横浜のある教会に奉仕の助けを求められて日本へ。奉仕の合間を縫い、寿町のホームレスの方々へお弁当を手渡しているうちに、直接的に宣教の使命を持つようになった。同じ使命を持つ両牧師は1993年にカナン・キリスト教会を建て上げ、共に礼拝と伝道活動に努めた。

「かえろうともよ」 制作経緯

「かえろうともよ」 制作経緯

  もっとたくさんの人に観てもらいたい

 初めて横浜カナンキリスト教会を訪れたのは2001年の暑い夏の日でした。私の知り合いの方がこの教会で講演を行うことになり、撮影を頼まれたのが訪問のきっかけでした。その教会は横浜寿町の一角に建つ普通のマンションの6階にありました。教会のシンボルである十字架はマンションの屋上にワイヤーロープで支えられ建っていました。夜になると十字架を飾る色とりどりの電飾灯が光り、寿町の夜空を照らしていました。教会に一歩足を踏み入れると、どこか郷愁を誘う演歌風の讃美歌が聞こえてきました。なんだろうこの懐かしさは。そう思っていると今度は夏の暑さで室内に漂う異臭が鼻をつきました。ここが普通の教会でないことにすぐ気づきました。

 講演の撮影が終わり機材を片付けていると、牧師さんが、“私たちが撮った映像です、よかったら観てください” と言って数本のVHSテープを貸してくださいました。後日VHSを再生すると、“もっとたくさんの人に観てもらいたい” と思うような映像が目に飛び込んできました。ただ残念なことに、タイトルも日付もないまま、撮影映像がそのまま記録されていました。

 数日間迷った末に、牧師さんに “編集を手伝わせてもらえませんか”。とお願いしました。牧師さんからすぐに返答がありました。“ぜひお願いします!”。 その日から、「かえろうともよ」の制作が始まりました。既に教会の人たちが撮影した数十本のテープをお借りして編集を開始しました。編集を進めていくと、さまざまなテーマがあることに気づきました。同時に “映像が足りない” と感じるようになりました。意を決して “撮影もさせてもらえませんか” と再び牧師さんにお願いすると、またすぐに返答がありました。 “ぜひお願いします!”。

  VHSからDVDへ

 この頃、記録メディアの世界ではVHSからDVDへの移行が始まっていました。この教会には韓国の人たちも通っていました。それならば「かえろうともよ」は日本語と韓国語の2ヶ国語で観てもらえるDVDに記録するのが最適かもしれないと考えました。その後、英語も加えればもっとたくさんの人に観てもらえるだろうと3ヶ国語版のDVDを作ることになりました。映像を作っている者として新しいメディアであるDVDの可能性を試してみようと思ったのです。ところが、この話を聞いた近くの横浜中華街の教会から中国語も加えて欲しいという申し出があり、最終的には4ヶ国語版のDVDを作ることになりました。1枚のDVDで4ヶ国語の映像を観ることができる。本当にそのようなものが作れるのだろうか。技術的に大きな不安がありました。

  長期間の制作

 制作に9年かかりました。なぜこんなに時間がかかってしまったのか。私と他に2名の編集スタッフが制作を手伝ってくれました。撮影、編集、3ヶ国語の翻訳、讃美歌合唱の録音、著作権申請、字幕制作、80タイトルのDVDメニュー作成などの作業を順番にではなく並行して進めました。毎日作業に専念していたわけではなく、それぞれの空いた時間を利用して活動しました。

 長い年月が経過したおかげで収穫もありました。新たな映像を沢山撮ることができたのです。映像の中では、12年前の牧師さんと12年後の牧師さんの姿を見ることができます。そればかりでなく、かつて路傍伝道集会で炊き出しのおにぎりをもらっていたホームレスの人が、今度はホームレスの人たちにおにぎりを配っている姿も見ることができます。

  翻訳と讃美歌の合唱

 字幕の翻訳と讃美歌の合唱に頭を痛めていた時のことです。3つの教会関係の方々が手分けをして翻訳を引き受けてくれました。それだけでもありがたかったのですが、さらに、同じ教会の人たちが讃美歌も歌ってくれたのです。各教会に讃美歌専用のカラオケマシンを持ち込んで4ヶ国語の讃美歌の合唱を録音しました。4つの異なる言語の讃美歌が全て同じ伴奏で歌えました。さすが讃美歌。目の前で連続して10曲もの讃美歌が本物の韓国語、中国語、英語で歌われるのを聞いた時はうれしく感激しました。

  讃美歌「淋しい夜の町」について

 「かえろうともよ」のテーマソングでもある「淋しい夜の町」(作詞作曲 山内修一)は日本人が作詞作曲した歌です。横浜カナンキリスト教会では讃美歌として歌われています。当然、外国語の歌詞はありません。今回の制作のために韓国語、中国語、英語の歌詞はそれぞれの教会関係の方々が翻訳をしてくれました。4ヶ国語の伴奏はカラオケマシンではなく佐藤牧師のピアノ演奏です。

  昔と今の寿町

 路傍伝道集会やカレーライスの炊き出しのシーンにたびたび出てくる「センター広場」は、2016年に「労働福祉会館」の建て替えとともに姿を消し、今はその地にモダンで機能的な「横浜市寿町健康福祉交流センター」が建っています。またクリスマスの映像の中に出てくる焚火のシーンも今日では見ることができません。「かえろうともよ」は信仰の記録であり、在りし日の寿町の風景の記録です。

  Web版「かえろうともよ」

 DVD版の「かえろうともよ」は無事完成し横浜カナンキリスト教会に納められました。制作当時は、まだ長い映像をインターネット上で鑑賞する環境がありませんでしたが、今日では環境も整ってきました。私は今回、この映像をより多くの人たちに観ていただきたいと考え、「かえろうともよ」をWeb上で視聴できるよう再構築しました。Web版「かえろうともよ」の誕生です。

  密かな想い

 この映像を作り始めた時、もうひとつ密かな想いがありました。それはクリスチャンでない私が子供の頃に抱いた “神様って本当にいるの?” という素朴な疑問の答えを見つけることでした。私は9年間、信仰のためでなく映像を記録するためにキリスト教会に通いました。そして通う度に思いました。牧師さんや証をする人たちを突き動かしている力は何なのだろう。目には見えない強いエネルギー。その力が天の上に在るのか、それとも心の内に在るのか。遂に明確な答えを見つけることはできませんでした。ただ、ひとつだけ確かに感じられたことがありました。それは、子供の頃にはわからなかった “やさしいイエスのむねにかえろうともよ” という意味を深く理解することができたということです。

  おわりに

 「かえろうともよ」の制作に際し、佐藤敏牧師、徐蓮凞牧師、横浜カナンキリスト教会、横浜バプテスト教会、横浜華僑基督教会、上大岡聖書教会、クリスチャン新聞社、リバイバル新聞社、教文館、財団法人太平洋放送協会、日本基督教団讃美歌委員会、在日大韓基督教会総会讃頌歌委員会、ご協力いただいた全ての皆様に心より感謝いたします。

  神戸伸郎